Living in Silicon Valley

最初から読む

bk_ttbtn_ext_09.gif
Feb 18, Wed Sadako
 上の娘が通っている現地校の4th Gradeでは今「Sadako」をクラスで読んでいる。これは広島で原爆にあった少女が十年後に亡くなり、彼女の意志を継いでクラスメイトが千羽鶴を折るというお話で平和記念公園の「原爆の子の像」のもとになった話だ。私はちょうど小学4年生の時広島に住んでいた。毎年平和記念公園へ遠足に行き、学校では定期的に原爆当時のことを語り部となったおばあさんから聞いていた。お話の細かいことは覚えていないが、訥々と語るおばあさんのやりきれない哀しさが伝わってきたことは覚えている。そして子供心にも、広島に住んだ者として、日本人として、平和の使者となることは私たちの使命だとどこかで感じていた。大人になりそんなことも忘れていた時、私はこのアメリカで子ども達にこのお話を教えてくれている先生に出逢えて嬉しい。
 娘の担任の先生から日本のKimonoを生徒達に見せたいと言われて持っていった。千佳にとっては曾祖母の着物。「antique!」「treasure!」それだけで先生は感激していた。でも実はこの着物は絹ではなく化繊であまりたいしたものではない。当時は絹なんか手に入らなかったらしい。曾祖母はそれを娘のために子供用に仕立て直した。こんなところにも戦争の影が残っているのだ。しかしそれでも曾祖母が着て、祖母が着て、母である私も着たこの着物を、いまアメリカに住む娘に着せてやれるのは幸せなことだ。クラスメイトたちは身体に巻く紐の多さと帯の長さに驚いていたようだ。女の子たちはちょっと羽織らせて欲しいと寄ってくる。私も一緒に楽しいときを過ごした。
 娘のクラスにはアメリカ人だけでなく、中国、インド、韓国、さまざまな国から来ている子ども達がいる。この子たちの子ども、孫、曾孫の代まで、どうか楽しく着物を見せたり着せあいっこしたりできる平和が続きますように。原爆の子の像の前で幼い日の私は何度も誓った。「安らかにお眠りください。あやまちは二度と繰り返しませんから。」
bk_ttbtn_ext_09.gif
Jan 5, Mon 明けましておめでとうございます
 新年ももう5日目になってしまいました。今日からちかは学校へ、パパは会社へと冬休みも終わり普段の生活に戻っていきました。散らかったお菓子やおもちゃは程々にして、私も一息ついています。
 我が家は今回のクリスマス、初めて父娘で旅行をし、私は家で息子とお留守番という体験をしました。いつもは「静かな時間がほしいー」とガミガミママになっている矛盾した(^^;私ですが、いざHiroくんが眠ってシンとした夜がやってくると、待ち望んでいた時間のはずがなんだか落ち着かなくて、やっぱり家族が揃わないと淋しいんだなとよくわかりました。
 そしてお正月。これほどおせちが、日本食が手に入る所に住んでいることを感謝しつつ、高いので簡単に済ませてしまいました。代わりに実家の母から送ってもらった着物を娘に着せ、お抹茶を点てて気分を盛り上げました。そうでもしないと元旦も普通の日と変わらないんですもの。この着物は私の祖母が自分が着ていたのを、昔日本舞踊を習っていた母のために縫い直したものです。私も七五三の時に着た記憶があります。実はちかの現地校の先生からクラスでkimonoを見せたいと言われていて、実家の母に相談したところ「冬にゆかたはダメ。ウソを教えちゃダメよ」というご意見。ゆかたも着物には違いないと思うけれど、持ってるのだから見せてあげてと送ってくれたわけです。しかし私は着付けなどしたこともなく、こんなことだったら日本に居たときに習っておくんだったと今更思っている今日この頃。このお正月はああでもない、こうでもないと練習することに。。。でも、おかげで日本にいたときより日本らしいお正月を味わうことが出来ました。


wsk_02_ho.gifwsk_02_ba.gif