Living in Silicon Valley

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bk_ttbtn_ext_09.gif Oct 08, Tue 笑顔の日々
 Hiroくんも、あっという間に5ヶ月を過ぎました。首もすわり、寝返りもできるようになりました。表情もずいぶん豊かになってきました。おまけに私の表情まで豊かになった気がします。朝起きると、とびきりの笑顔をなげかけてくれるんです。私も思わずにっこりしてしまいます。こうして笑顔で始まる一日の気持ちよさをしばらく忘れていたような気がします。彼のおかげで家族の距離もずっと近くなったような気がします。
 Hiroくんは呼吸をしたり、おっぱいを飲んだり、うんちをしたりを練習しながら、肉体をもつということにも少しずつ慣れてきたようです。この世を楽しもうね!
bk_ttbtn_ext_09.gif Jul 02, Tue 我が家の王子さま
 夏休みに入り、朝のあわただしさも一息ついたと思ったら、すぐに今度は日本語補習校の夏期講習が始まり、またお弁当作りの日々です。朝の授乳が5時すぎになってきて、それから7時に起きてお弁当と朝食を作るのはねむい、ねむい。さらに、とんでもないことに、この時期に限って夫が急に1ヶ月(!)もの出張に行ってしまいました。途中、2日ほど帰宅するらしいけど、それって荷物を置きに来るだけよね。ついこのあいだまで、日本からの応援部隊が来ていて、最高7人もいたというのに。でも今回は一人ではなく、8歳の娘が、食事の支度の時やお風呂のあいだ抱いていてくれるなど、ちょっと頼りになるので助かってます。
 ところで、ようやくパソコンに裕己の写真を取り込みました。真ん中のは誕生2時間後くらい。お姉ちゃんに抱っこされて。彼は標準サイズで産まれましたが、8歳の娘と比べると、ほんとに小さいでしょ。両端のは翌日の、まだ入院中の写真です。

我が家の王子さま

bk_ttbtn_ext_09.gif Jun 22, Sat Enjoy your baby !
 先週、両親も帰国して、24時間3時間おきのおっぱい&うんちに加え、上の子の学校の送り迎え、お弁当を再開し、朦朧としながらバタバタすごしていた私に、先日娘の通う歯医者の受付嬢が声をかけてくれた。「可愛い子ね。」「お産は大変だった?」etc.日本人にもよく聞かれる会話のあとで、「Enjoy !」と言われたとき、私は涙がでそうになるほど嬉しかった。レストランやコンサートに行くとよく「Enjoy !」と声をかけられるけれど、赤ちゃんに言われたのは初めてだ。そして、その言葉が、いつのまにかやるべきことに追われて余裕を失っていた私をリラックスさせてくれた。
 そう、もっともっと母であることをEnjoyしよう。産後は「ローラーコースターのように」という形容詞がつくほど感情が揺れるのが普通らしい。一人目のときは、私も知らず知らずのうちに全ての責任を一人で背負い込んだような緊張と、それを分かち合うことのできない孤独感から、せっかくの赤ちゃん期を楽しむというより必死で過ごしていた。日本では母となった瞬間からパーフェクトを求められるような、まわりからの無言の圧力もあったように思う。耐えきれなくなって、真夜中にひとり泣いたことも一度ではない。
 でもここは気楽で何でも楽しむのが得意なアメリカ。8年ぶりというせいもあって、自分では結構どん欲に母の喜びを味わっていると思っていたけれど、「Enjoyしてね」といってもらえるとスーっと力が抜けていくのがわかる。子育てをがんばってしまうと、きっと子どももつらくなる。お母さんが楽しんでいれば、幸せな子どもになるんじゃないかなー。もし、まわりに子育て中のお母さんがいたら、子どもはもちろんお母さんも、のんびり大らかな目で見てあげてくださいね。
bk_ttbtn_ext_09.gif Jun 12, Wed First Smile
 今日はマイケルが私の目をみて笑った。声をかけるとこっちを向いてにっこりと笑った。睡眠不足も抱っこの疲れもふきとぶ瞬間だ。今までにも、おっぱいを飲み終えた後など目をつむったまま微笑むことはあったけれど、それは満足の微笑みだったろう。でも、今日のはちがう。私の呼びかけに応えたコミュニケーションの微笑みなのだ。天使の微笑みとはこのことだ。
 この1ヶ月でふにゃふにゃで、か細かったマイケルの身体もすいぶんしっかりし、ぷくぷく太って赤ちゃんらしくなってきた。初めは泣くだけだった表情も増え、きばってみたり、おすまししたり。ときどき私の背中の上方をじーっと見つめたり、にっこり笑ったりするのはまるでオーラを見ているようだ。毎日変化するその様子は見ていて飽きない。たぶんこれで最後の子育ての、瞬間、瞬間を見逃すまい、母の歓びを逃すまいと懸命の私です。
bk_ttbtn_ext_09.gif May 11, Sat 誕生の日(3)
 ドクターはすぐに彼を胸の上に乗せてくれ、初対面。なんて小さいんでしょう。でも、とっても賢そうな瞳。しっかりと目を見合わせることができました。そして夫がへその緒を切ってくれました。身体をふいてもらって、暖めてもらって初めての授乳。まだおっぱいは出ないのに、誰にも教わっていないのに、もう力強く吸ってくれます。Sueもあまりのスピード分娩に興奮気味。「こんなに静かで早いお産ははじめてよ。騒いでいたのは私ひとりだったわね!」
 名前は裕己。退院までに出生証明とソーシャルセキュリティナンバーをもらわなくてはいけないので、前もって決めてあった3つの候補のなかから、顔を見てひとつを選びました。ミドルネームのMichaelは、おなかにいる時から彼が私に伝えてくれたメッセージ。大天使ミカエルのボトルからいただきました。
 まもなくおじいちゃん、おばあちゃんと娘もやってきて、そのまま家族でしばらく時間を過ごすことができました。8歳の娘はそれはそれは楽しみにしていただけあって、大喜び。初めてみる赤ちゃんの小ささにびっくりしたようです。おばあちゃんもこんなに生まれたてのホヤホヤの赤ちゃんを抱っこするのは初めて。坊やはしっかりと目を見開いて、新しく家族になったひとりひとりを確認しているようでした。そのあと坊やとパパは初めてのお風呂へ。みんなはそれを見学。私はナーサリールームへ移動してしばしの休憩。でも次々と検診やインフォメーションがあり、夜中の2時間おきの授乳も始まって、赤ちゃんのいる生活がいよいよスタートしたのです。
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May 11, Sat 誕生の日(2)
 看護婦さんがSueという女性に交代し、午後5時の時点で子宮口5センチ。ドクターの予想では分娩は夜中になりそうとのこと。様子を見にやってきた両親と娘はいったん家にもどることになりました。そして、ドクターは食事に行ってしまいました。ところが、その直後から陣痛が1回ごとにどんどん強くはっきりしてきて、しゃべることも出来なくなってきました。ラマーズ法の呼吸法は本で読んでいたけれど、練習していないので、いつもやっていた瞑想の「吐く息とともに痛みを手放す」イメージで、ただただふーっ、ふーっとやっていました。でもこれがバッチリだったようで、かなり陣痛がつよくなり、看護婦さんにエピデュラルという麻酔を勧められたときも「いらない」と言うことができました。長女のときはわけもわからず、何の薬を使われたかもわからず、意識が遠のきそうになる中での出産だったので、今回は痛みは怖いけれど、意識的なお産をしたいと思っていたのです。
 7時ごろ子宮口をはかったら、なんと9センチ。進みが早いので、2〜3時間内には産まれるかもということで、一旦帰った家族を電話で呼び戻しました。それからは、もうおなか赤ちゃんの意志を確実に感じながら、2人での共同作業という感じです。陣痛の痛みはものすごいのだけど、もうすぐ逢える!という気持ちが私をポジティブにしてくれます。薬を使っていないので、陣痛がかなり強くなってからも、陣痛と陣痛の間には深呼吸をして休むことができ、自然のリズムのすばらしさに感動していました。
 そして次の2,3回の陣痛で、赤ちゃんが産道を通り抜けていくのを感じ、もう限界というところで夫にSueを呼んでもらい、彼女が部屋にやって来たときにはもう頭が出ていました。Sueが「Baby is coming!」と叫び、院内に居合わせた別のドクターに来てもらい、他の看護婦さん達もあわててあつまって来て、ベッドを分娩台にした直後、7時29分に誕生しました。「男の子だよ」「そうでしょう」聞く前から私は確信していました。
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May 11, Sat 誕生の日(1)
 5月1日。その日はまさかの予定日過ぎの検診でした。胎児の心拍数などを計って、結果によっては陣痛促進剤を使うということで、医師からの説明を受けていました。
 検査の結果、赤ちゃんの産まれる準備はできている。待っても胎盤が古くなるばかりらしく、今日入院しようという話になりました。自然分娩を望んでいた私ですが、このまま微弱陣痛のままが続いたら帝王切開になるかも、という心配もあり、気持ちは揺れるまま自宅で病院から入院時間の連絡を待つことになりました。お風呂に入ったり、荷物を再チェックしたりしていると、今まで強くならなかった陣痛がだんだん強くなってきたような気がします。赤ちゃんは今朝の会話を聞いていたのかな?
 準備を整えて午後2時半、通訳という理由で立ち会わされる夫とともにEl Camino病院に入院しました。さっきは強くなった陣痛も8分おきになっているとはいえ、ちょっとおなかが張る程度で痛いというほどではなく、ベッドに乗ってみてもなんだか手持ちぶさたです。驚いたのは看護婦さんが男性だったこと。それも髭面の。ドクターが女医さんのネットワークだったので、なんだか不思議な気持ちでした。お部屋はLDRといって陣痛から分娩までひとつの部屋になっていて、付き添い用のベッドもテレビもある(もちろんバストイレ付き)というホテルのような広い部屋でした。でも入院から48時間で追い出されてしまうのです。このまま産まれなかったらどうしよう。。
 1時間ほどしたところで、主治医のドクターがやってきて、促進剤か人工破水かをしようということになりました。どうしても薬を使いたくなかった私は、破水なら自然におこる人もいるのだからと人工破水を選びました。そして、陣痛はだんだん強くなっていきました。
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Apr 26, Fri とうとう予定日
 おなかが下がっているから早いだとか、2回目だからとかいう大方の予想に反し、赤ちゃんは産まれないままとうとう予定日になってしまいました。もう何日も前から前駆陣痛という痛みはつづいているのですが、それが規則的な陣痛にならないまま、パパの40歳の誕生日を迎えてしまいました。複雑なパパであった。。。
 やはり、どこへでも歩いて行っていた日本での出産と違って、運動不足になっているのかなぁ。。赤ちゃん用品の準備も終わってもういつ出てきても大丈夫。10日前に日本からやって来た両親も、観光にも出かけられず退屈そうです。もしかしたら、5月生まれになるかも。。。
 みなさんにシェアしたいことはもっといろいろあるのだけど、今はちょっと書いてる余裕がありません。でも、生まれたら真っ先にここでご報告したいと思っているので待ってて下さいね。
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Apr 04, Thu Ready or not, I'll come !
 とうとう臨月になってしまった。妊娠してから今まで、自分自身の変化にばかり気を取られ、上の娘を相手にバタバタしているうちに、気がついたらもうおなかははち切れんばかり。あわてて出産の準備を始めている。
 安定期には毎回同じで、らくらくと思った英語での検診も、後期になってくると毎回いろいろな資料を英文で渡され、まるで宿題のように次の検診までに読もうとがんばるのだが読み切れない。家に届くダイレクトメールもだんだん増えてきた。関心するのは、私の週数を知って、その週にあわせておなかの子の成長具合のイラストや、その時期気をつけることなどを書いたものを、少しずつ送ってくるところだ。長い英文にはめげてしまう私も、これならつい読んでしまう。今日は「Ready or not, I'll come!」と書かれたDMが来て、ドキッとしてしまった。まだまだ全然Readyじゃない。急いで準備するから、赤ちゃんもうちょっと待っててね。
 ベビー用品も日本にはなかったものがあって、見ていておもしろい。昔トムとジェリーの漫画で見たようなゆりかごやロッキングチェアー、トータルコーディネートされた子供部屋。これはやっぱり広いアメリカの部屋じゃないとね。モニターが一般的なのも広いおうちならでは。でも我が家は残念ながらアメリカの家とは思えないくらいの狭さなので、基本的にこういうものは使えない。せっかくアメリカにいるのにぃ。
 カーシートは法律で必須と決まっていて、退院のときにないと赤ちゃんを連れて帰れない。新生児用のはたいていベビーカーにも設置できるようになっている。これが重いのだ。一人で外出できるようになるだろうかと心配だ。こちらでは産後まもないお母さんが、よくこんな重いカーシートを片手で軽々持っていると関心するけれど、この体力の差はどうしようもない。
 お洋服は足先まですっぽり袋のようになったライエットというものか、ズボンのないお尻までのボディスーツになる。日本のように着物タイプでズボンのところがスナップになっているようなのはめったに無い。しかも頭からかぶせるタイプがほとんどだ。でもデザインはさすがに可愛いものがたくさんあって、見ているだけでも楽しい。娘はすっかり自己主張が激しくなって、私の選んだものはなかなか着てくれなくなってしまったが、これからは赤ちゃんのお洋服でしばらく楽しめそうだ。


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