From the heart to heart
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Dec 5-03 おにぎりと七面鳥
 先週のサンクスギビング(感謝祭)は珍しく旅行もせず家にいたので、アメリカに来て初めてターキー(七面鳥)の丸焼きに挑戦することにしました。あちこちからレシピを集め、5キロ以上あるターキーを2日以上かけて解凍し、ドキドキしながら当日をむかえました。お肉が好きなくせにお店で売っている鳥の姿を見て「こわいー」などという娘のためにも、前から一度丸焼きを作ってみたかったのです。だいたい食べる方が食べられる方のことを「こわい」なんていうのはおかしいと思っている私は、こんな姿になってくれてありがとう、とターキーちゃんに感謝のきもちを込めて水洗いしていたら、せめて美味しく作って残さず食べなければ申し訳ない、とターキーちゃんがしみじみ愛しくなってきちゃうのでした。
 そもそも最近急にお料理に目覚めたのは、ちょうどその前の週末、映画ガイアシンフォニーに登場されている佐藤初女さんにお会いしたからです。「食はいのちです」という初女さんは、生活そのものが祈りなのだとおっしゃいます。そこのところには深く共感する私だけれど、さてそれでは私の毎日の生活が祈りとなっているか、瞑想となっているかというとかなり怪しい。それがずっと悩みでした。だから、私の理想を生きてらっしゃる初女さんに実際にお会いできて、その姿に触れられてとても嬉しかったです。この世にはとても真似できないと思うような理想を本当に生きている人がいるのですね。そういう意味で初女さんは日本のマザーテレサだと思います。マザーテレサは日本には貧しい人は少ないけど、心を病んでいる人が多くいます、と言っていましたっけ。初女さんの活動は、まさにそういう人たちを救う無条件の愛なのです。一生懸命料理した野菜を子どもが手もつけないと愚痴る私に、初女さんは「野菜は味付けだと思うのよ。研究してください。」とおっしゃいました。料理に関しては不満ばかりでやる気をなくしていたけれど、なんだか初女さんの言葉はシンプルでポジティブで目から鱗でした。子どもが野菜を食べないとき、「いま」にもっと目をむけていたら、どうして食べないんだろう。何をどうしたら食べるだろう、と思ったはず。自分のなかの不満にばかりフォーカスして、私は子どもとの生活の「いま」に居なかったのだ、と初女さんの短いその言葉に気づかされたのでした。自分のエネルギーを余分なことに使わないで、目の前にあるお野菜のいのちをいただくことに100%集中してみよう。
 サンクスギビングの休暇の前に、これまたちょうどタイミング良く、ずっと調子悪かった我が家のコンロを親切な大家さんが新しいのに取り替えてくださった。ピカピカのコンロとオーブンは料理下手の私もやる気にさせてくれる。そこでターキーの登場となったわけだ。この日もおにぎりをにぎりつつ、オーブンのライトを何度も付けたり消したりパチパチのぞいて、3時間以上かけてとうとうターキーは焼き上がった。結果、大成功!一緒にスープとグレービーソースも作れてなかなかの充実感である。あんまりうれしくて、写真を撮るのを忘れて食べてしまったのが残念!
Nov 14-03 タオスの空
 先週の月食は同時にハーモニックコンコーダンスと呼ばれる惑星が正六角形を描く日だったそうですが、みなさんはどんな風に過ごされたでしょうか。私は10日前までそのことを知らなかったのですが、そのずっと前から夫の出張についてニューメキシコへ行く予定にしていました。どうせならタオスに行ってみたい。今回はなぜか強くそう思っていました。名前しかしらない町だけど、気になるのです。夫の出張はアルバカーキで、直行便がないのでダラス経由で6時間近く、さらにアルバカーキで1泊してから4時間ドライブしてようやくタオスにたどり着きました。
 ここは地球の息づかいが聞こえるところ。そんな気がしました。広く平らな大地の果てにかすかに見える山々。反対側もずっと荒野が続き、遠くに山がかすんでいる。と突然、おどろくほど険しい地球の割れ目のような渓谷のリオグランデ河が現れるのです。そしてあくまでも広い空。そのどれもが命をもち、この一瞬を生きていることを改めて感じます。ここに住むインディアンたちはそんなこと当たり前だというかもしれません。
 タオスは実はインディアンのプエブロとして有名だそうです。世界遺産にも指定されているそうです。でも他の世界遺産と違うのは、まだ住んでいる人がいること。実際には夏の時期だけ過ごしているようですが、今もかまどに火をくべセージを焚きながら、手作りの品を売っている家がたくさんありました。インディアンには私たちのような子連れの東洋人は珍しいのか、彼らの方からよく話しかけてくれました。どのインディアンも表情は多くないけれど、どっしりと頼もしそうで、さすがしっかりと母なる大地と一体になっている人たちです。プエブロの中のお店のひとつで聖母像を買いました。ターコイズのローブを着たちょっと色黒の母なる大地を思わせる聖母像です。「私が作ったのよ」フラワーバスケットと名乗るその女性は、陶器に絵付けする手を止めずに話し始めました。やはり年の離れた弟をもち、母として、おばあちゃんとして「私は人生のすべてを子守しているわ」と笑っていました。
 その後、プエブロの教会を前に写真を撮っていたら彩雲が現れました。そして次々に天使雲がやってきては形を変えてゆきます。その美しいこと!子ども達はなんだか嬉しくなって走り回りながら笑い転げています。ああ、しあわせだなぁ。
 モーテルにチェックインした後、夕焼けの美しさに再び空を見上げうっとりしていました。ピンク、インディゴ、そして紫。そうこうしているうちに日は沈み、まだ西の空にあかね色が残る頃、反対側のタオス山に三日月が浮かびました。そう、月食のまま月が昇ってきたんですね。「わあ、きれい!」と思わず声をあげて、今夜は外食をやめテイクアウトで宿にもどり、おつきさまの観賞会とあいなりました。だんだんと月が隠れ新月の状態になり、しばしの暗闇の後また現れたり、雲がかかって幻想的になったり、切り取ったような満月が冴え渡ったり。今夜の空は本当に魅せてくれます。私はただただうっとりするばかりでした。持っていってあった前にシャスタで買った六芒星のピンククォーツも月光浴してなんだか虹が増えたようです。六芒星は 愛と調和を示すとか。かたわらでハイになって騒いでいる子らを横目に瞑想どころではなかったけれど、この地球の大きな愛と山や河や大地のさまざまな景色が生み出すハーモニーの素晴らしさを実感していました。
 その夜、私は久しぶりに夢をみました。しかも色つきの。何人かのワークショップに何故か夫と一緒に出ていて、みんなに励ましてもらいながらできるようになる。それは天使を見ること。いつも近くにいると感じてはいたけれど、夢の中とはいえ天使の姿を見たのはこれが初めてです。美しい雲かと思ったら光の輪郭をもった色々なポーズの天使たちが楽しそうに空を泳いでいました。それはそれは美しく愛らしい姿でした。次に私は新しいグループに入り、新しい名前をもらいました。私は天使に囲まれながら、私にもできるんだと感動していました。天使たちは何も言わないけれど、私には何を言いたいのかわかってしまうのでした。
 タオスからの帰り道、はてしない大地を感じながら、私はちょっと厚い小さな雲の縁が太陽に照らされてまぶしく輝くのを見ました。それは夢の続きのようでした。そのとたん、あ、私たちもあれと同じなんだと思いました。私たちもきっとあの天使の雲のようにたえず変化しながらまぶしいほどに輝いている。オーラのように光で縁取られたその雲はとても美しく空に映えていました。今回は祈り瞑想する静かな時間はもつことができなかったけれど、それだけが瞑想ではないでしょう。すべてのものの中に愛を見つけだし、そのエネルギーと調和すること。それこそが瞑想であり、祈りなのだ、と天使は伝えてくれているようでした。
(写真集Sky of Taosへ)
Oct 30-03 ガイアシンフォニー
 今週はサンフランシスコのジャパンタウンで行われた映画ガイアシンフォニーを見てきました。この映画のうわさはずっと前から聞いていました。10年以上も前、見に行こうとして上映時間を調べたことも覚えています。2年ほど前にここサンフランシスコでこの映画の上映会をやりたいんだと言っていた友達の熱意に、初めはふうん、と思っていた私もだんだん強く見たいーと思うようになりました。それでも場所さがし、資金のこと、越えなければならない関門はいくつもあったと思います。自主上映というかたちで広がっていくこの映画は、けれどもそうさせる不思議な力をもっていることが今日実際に見てよくわかりました。
 子どもの頃からずっと私は地球はひとつの命だと感じていました。たぶん子ども達はみんなそんなこと当たり前のように知っているんだと思います。それが大人になるにつれて忘れてしまった。違う機能をもった身体の一部が、お互いに助け合うのではなく戦いをはじめたら、それはガンになってしまう。死に至る病です。人間は地球のガン?そんなことを考えていた思春期のことも思い出しました。この映画は人の想像力・心が地球の未来を決める、と語ります。そう、思いは形になるのだから。この映画は、その人間の想像力をパワフルにリードする4人の人の姿が描かれているのですが、ものごとを極め、真実を語る人のなんと魅力的なことでしょうか。どの顔も深いのに軽く、さわやかで澄んでいるのです。「いい顔になりたいなー」なんだか素直にそう思いました。
Oct 19-03 直感への道
 もう3日もたってしまいましたが、サンノゼの紀伊国屋書店で行われた山川紘矢・亜希子夫妻のお話会に行ってきました。毎年1回こちらにいらっしゃる時にお会いして、今年で3回目になりました。初めての時にお隣に座ってお話した方とも再会して「あの時おなかにいたのがこの男の子ですか!」なんて言われたりもしました。去年は抱っこして一緒にスピリットダンスを踊ったこの子も、今年はずいぶん重くなりました。でも不思議なことにこの子は、私がどうしても参加したい!と思ったイベントの時には、騒がず静かに寝ていてくれるんです。先日のキャロルのツアーのパンサーメドウでの瞑想のときもそう。今回もそうでした。山川さん夫妻は毎年どんどん力が抜けて軽やかになってらっしゃるようですね。サイン会の後、一緒にお食事させていただいたみなさんも素敵な方ばかりで、サンノゼの近くにもこんなに仲間がいたんだ!と嬉しくなりました。
 そのお話会でもちらりと出てきたペニー・ピアスの本をいま読んでいます。キャロルのツアーの後、ふと手にとって読み始めたのですが、キャロルとペニーがお友だちであることが書いてありびっくり。そしてペニーと山川さんご夫妻がお友だちであることを知ってまたまたびっくり。しかもこの本、実は私がアメリカに来る前ですから4年前、古本屋で購入したものなんです。それから何度か読もうとTryしたのですが、どうも意味がわからなくて挫折してばかりでした。それが今回はそうか、そうかとうなづきながらどんどん読めます。章ごとに出ているエクササイズも今まではわけがわからなくて面倒くさかったのに、今度は楽しくできるのです。本当に、何事にも「時」というのがあるのだなーと感心してしまいます。ガチガチ頭だった私も少しはやわらかくなったかしら。そうだとしたら嬉しいなー。
 あ、書き忘れました。その本の名前は「直感への道」です。
Oct 9-03 3つの教え
 キャロルからシャスタで学んだことは数え切れない。たくさんの気づきを得ることができた自分も誉めてあげたい気分だ。そのなかの3つを今日は残しておこうと思う。
 まず循環ということ。流れにのりシンクロを促すには、エネルギーを循環させることだ。長いことここでつまづいていたような気がする。まず手放すこと。それから受け取ること。そのバランス。一直線に見えるような河の流れも、大きな地球という環の中で循環している。与えるばかりでは枯れてしまうし、受け取るばかりでは詰まってしまう。止まらないから流れる。なんだか流れが悪くなったと思ったら、まず深く息を吐いてみよう。何かをためこんでいないか調べてみよう。
 そしてCommitment。いまこの瞬間に生きること。もう耳がタコになるほど聞いてきたこの言葉。でもいよいよこれが大切なんだ。いま私が今までの目標を見失い先が見えなくなったのも、未来ではなく今ここに意識を向けなさいというメッセージなのかもしれない。目の前にあるもの、その人の美しいところをよく見ること。美はシャスタ山や特別な聖地にだけあるんじゃない。今までいかにネガティブな側面ばかり見ていたか、自分でも呆れるほどだ。もっともっとよく見よう。日常の中で気づいていないことがもっとあるような気がする。
 それから、私なりのIndependence。うすうす感じてはいた。丹田に力が入らないってことは、どこか依存・反依存の問題に関係しているだろうと。まさか自分はそんなことはないと思っていたけれど、自分の中心にいないということは、だれかに寄りかかっていることなのかもしれない。Independenceとはぽつんとただ1人でいることではない。みんなの中にいても流されず寄りかからず、まっすぐしっかり立っていることだ。私にとって家族をもったということは、そのIndependenceを学んでいるからかもしれない。パンサーメドウで見たたくさんの木がかたまって、まっすぐに天に向かう様子。みんな一緒に、でも寄りかからず、それぞれが自分でまっすぐ立っている。
Oct 2-03 山から帰って
 キャロルアドリエンヌのシャスタ山リトリートから帰ってきました。また今日から一日一日を大切に過ごしていけそうです。ああ、感謝。あまりにもたくさんのことを学んだので、全部を書くのは無理ですけど、忘れないためにもできるだけ書き留めておこうと思います。
 友人のmioさんからキャロルアドリエンヌの名前を聞いたのは去年のことでした。山川ご夫妻を通してキャロルに会ったと聞いて興奮したのは、単に名前を聞いたことがあるミーハーな気持ちからだったかもしれません。でもキャロルが「聖なる予言実践ガイド」「人生の目的」の著者、そして数秘学に詳しいことを知るにつれ、ツアーに参加したいという気持ちは確実になっていきました。
 しかし今年の前半、私は多忙になり目標も見失い停滞していたので、上の子の学校を休ませ小さな子どもを連れて参加できるわけがない、とあきらめはじめていました。そんな私に無理をして協力してくれたのが我が夫でした。ボストンの出張を早めにきりあげて5時間の運転とベビーシッターを引き受けてくれたのです。「いいご主人ですね」そう言われるたびに反発して「家では違うんですよ」とお茶を濁していた私ですが、さすがに今回は「そうですね。ありがとう。」というしかありません。全面降伏です。シャスタという気づきに満ちた場所で、家族全員で参加できたことは本当に幸せとしかいいようがありません。いままで自分がいかにネガティブなものの見方をしていたか、それをポジティブに変えるとどんなに世の中が変わるか、知ってはいたけれど、今やっとわかったのです。
 実はシャスタに着いてすぐ、行く前に用意していた数秘のライフチャート、オーラソーマの本、山で吹くのを楽しみにしていたネイティブフルート等すべて忘れてきたことに気づきかなりショックでした。それは分散してバラバラになっていた私を象徴しているようでした。肉体の疲れはもちろんですが、スピリットの飢えというか、一度知った魂の喜びを忘れられなくて、自分が詰まって濁っているのはわかるけどどうしたらいいのか、そして自分がどうしたいのかわからずイライラして家族にあたってしまってう毎日でした。最初のミーティングで娘にノートを借り席に着いたら、ペンとハート形の石が用意されていてホッとしました。そして、どんなに良いものでも一人で持てる量には限界があること、手放すことを学ばなければと思いました。
 さてキャロルのワークはまさに実践編。こんがらがっている私にとてもわかりやすく、シンプルに、とても深い知恵を授けてくれ、それをすぐに生活の場で生かすことができそうで、まさに私の探し求めていたものでした。キャロルのナチュラルでカジュアルな人柄もとっても魅力的でした。私は女性として、母として、そしてスピリチュアルシーカーとして理想のモデルを見つけました。もちろん私は私らしく私の道を行くつもりですが、そこに先を行く先輩がいるのといないのでは大違いです。先輩と言うにはあまりに大先輩ですが、そんな風に感じさせないしなやかさとプラクティカルなところが大好きです。キャッスルレイクとマックロード滝では、うちのお姉ちゃんと一緒に水遊びをしたり川辺を探検したり、とってもかわいがってもらいました。
Sep 11-03 新月のとき
ずいぶん間があいてしまってごめんなさい。今年もまた9月11日がやってきました。娘は学校で今朝、1分間の黙祷をしたそうです。あの日以来、アメリカは少しずつ変わっているようです。時という力の前では、すべてのものが変わらざるを得ないのでしょうね。
 実は私もまた春あたりから、今までと違う自分を感じています。今までのスピリチュアルな歩みはすべてが原点にもどされてしまい、今まで目標にしてきたものにも魅力を感じなくなってしまいました。今まで学んできたこと、吸収してきたことをきちんと消化して自分のものにしきれていなかったみたいです。いろいろと手放さなければならないものもたくさんあるようです。
 聖サンフランシスコの詩を唱えるうち、最近私は神様の道具としてはちょっとほこりかぶってきているなぁと思うようになりました。家の中は散らかり放題だし、食べるものも肉好きの夫とファーストフード好きの娘に妥協してしまうことが多いし、なにしろずぼら主婦だし。神様だってそりゃ、打てば響くような道具を使いたいでしょう。
低い方、楽な方へ流れるのは簡単ですが、日々の生活で自分を律することはとても難しい。でも、その反動は直接自分に返ってきてしまうんです。これは大問題です。
 I want to be a good instrument.
 なんだか人生の新月に入ったようです。先が見えずに真っ暗です。
 でも、数年前なら不安でたまらなくなっていただろうこの状態を楽しもうとしている自分もいて、それが嬉しくもあります。今は立ち止まる時なのでしょう。人生にはそういう時もあるのです。真っ暗なときは真っ暗なところで出来ることをしましょう。どちらの方角かはわかりませんが、いつか光がやってくることは確かです。

Feb 8-03 コンサルテーション再開しました
 2003年、新たなスタートのはずの1月は、なんだか時差ボケだったり、体調が悪かったりして、なんだかさえない毎日でした。そういえば以前はよくこんな時にネガティブになったなー、なんて思いながら今はそうならない自分を発見したり、かといって何に対する意欲ももてずにぼんやり過ごしてしまいました。
 我ながらおかしいのですが、それが新しいボトル達が届いたとたんに元気になってしまいました。産休明けで、気持ちも新たにスタートしたいと思い、3年ぶりに我が家のボトル達の半数以上をリニューアルしたのです。そのボトル達が届いたのが1月中旬過ぎ。そして、タイミング良く、初めての方からコンサルテーション以来のメール。新しいボトル達は、とってもきれいで、とってもパワフルです。光あふれるボトル達は見ているだけで、エネルギーが湧いてきて、しあわせな気持ちになれます。
 久しぶりのコンサルテーションはちょっぴり緊張しましたけど、やはりこの出逢いは必然だったのだなーと、感謝の気持ちで一杯です。そして、家庭のこととオーラソーマの両方をしている時の方が、私もバランスがとれているような気がするのです。
 そんな訳で無事、産休も明けました。まだぼちぼちとですが、お仕事していきたいと思いますのでよろしくお願い致します。
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